「お酒を楽しむ」文化を広めるために、新たな酒造りの可能性を見いだす
こだわりの酒造りだけでなく、伝統の中にも新しい風を吹かせたい
中勇酒造店は、県内でも数少ない伝統的な製法「直火和釜蒸し」を現在も守り続け酒造りを行っており、近代化されている蔵が多い中、あえて昔ながらの設備や手作りの工程を残し、データだけでは作れない五感を大切にした酒造りにこだわっています。
昔ながらの酒造りだけを行うだけではなく、時代を読み、伝統の中にも新しい風を吹かせたいという想いを製品化しています。
中勇酒造店は、慎重で謙虚に、どうすれば自分たちの日本酒を多くの方に飲んでいただけるか、自分達らしさを忘れず独自に掘り下げてきた酒蔵です。
酒造りに使用する米の8割が宮城県産、2割が蔵元がある加美町産を使用しています。
全行程で伏流水(湧き水)を使用しており、地元の水・米・人で地産のお酒を造っています。
中勇酒造店では、お酒を蒸す工程において伝統的な製法を今でも守り続けています。
昨今スチームで蒸す酒蔵が多い中で、中勇酒造店は和釜にこだわり普通酒から大吟醸まで全てのお酒を大吟醸と同じ手間暇をかけ醸し、完全手作り少量仕込みの酒造りにこだわっています。
データ通りだけでは私たちの目指す「酒」は再現できないため、手間暇をかけて、感覚を大切にし五感を研ぎ澄ませた酒造りを行っています。
初代当主 中島文治により明治三九年に創業。
二代目 中島勇治にて合資会社中勇商店を設立。
しかし昭和十六年頃、時代は戦争に突入、米不足や二代目の急逝もあり、一時廃業に追い込まれ酒造業を離れました。
後継の三代目当主 信一郎はまだ16歳でした。
親権者付の代表社員となり、男子4人の弟がいたが、家督・親代わりとして生活を支えねばならず、進学の夢を断念、病気のため兵役を免れ、一時、東北大学航空工学科の助手として勤務していたが戦争も激しさを増し、仙台空襲直前に帰家、命を免れました。
終戦後は酒の小売業や仙台名物「最中」の皮焼きの下請け、冷菓(アイスキャンディー)の製造と食い繋ぎ、昭和32年、捨て切れなかった「酒造り復活」の夢を実現する時期が来ました。
ですが既に「蔵」は無く、ゼロからの再出発でした。
弟の信二郎(販売担当)、信三(製造担当)と共に苦労の末、何とか製造仮免許を取得し、「鳴瀬川」の銘柄で営業再開しましたが、価格競争等に阻まれたり、味わいは淡麗辛口を目指しましたが、当時の地元の嗜好もあり、容易には受け入れられませんでした。
やがて販売努力もあり、徐々に支持層を増やしていきましたが、時代は洋酒全盛に入った頃で、造れば売れる時代は過ぎ、製造担当の信三は洋酒のように日本酒もオンザロックで飲めないだろうかと思案、新製品の開発に取り掛かかりました。
昭和五〇年頃、趣味の登山仲間の登はん祝いにと試作品の「鳴瀬川原酒」を山頂に持参し、雲海の望みながら飲んだところ、同行していた画家・登山家の先生がその味と香りに驚き絶賛。
まさに「天の上で夢か幻を見ているかのような味わいだ」との一言から「天上夢幻」と命名、以後三〇年に及ぶベストセラー酒の誕生の瞬間でした。
四代目 信也は東京の酒問屋で流通の修行と国税庁醸造試験所で製造研修後、27歳で蔵入り、40歳の時に先代逝去に伴い当主就任。
時代の流れで20年の間、純米酒、純米吟醸、純米大吟醸のアイテムを増やし、現在では当蔵で製造している酒の約9割が特定名称酒になります。
また、平成15年より開催している「蔵開き」では毎年600名近いお客様にご来場いただき、多くの地元の愛酒家や流通に携わる方々のご支援により支えられていることに感謝いたします。
法人名 | 株式会社 中勇酒造店 |
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所在地 | 〒981-4241 宮城県加美郡加美町字南町166番地 |
Webサイト | https://www.tenjo-mugen.co.jp |
創業 | 1906年(明治39年) |