地元の米、水を使って酒を醸す―。
その酒は、地元の食に寄り添うものであること。
地域の人たちの冠婚葬祭やお祭りで愛されるものであること。
明治4年(1871)の創業以来、「地酒はその土地の液体化である」をレガシーとして私たちは、この名取市閖上の地で酒をつくってきました。
2011年3月11日。
あの日、私たちを取り巻くものすべてが一変しました。
濁流に飲まれる蔵を見ながら、それでも私たちはここで酒造りを続けていく―。そう決心していました。
2012年、たくさんの方たちの助けをいただいて、仮設の工場で酒造りを再開。日本の醸造史上初の試みでした。
故郷のアイデンティティを遺し続けるために。
復興の象徴とするために。
少しずつ賑わいが戻ってきた閖上から、地域のみなさま、そして全国のみなさまに。
私たちはこれからも魂をこめて酒を醸してまいります。
明治4年(1871)、初代・佐々木新助が運送業から多角的に事業を起こす中、伊達藩の御用港として栄えた閖上で酒屋を創業。屋号を「浪の音」、銘柄を「宝船浪の音」としました。
古くからの信念は、「地酒とはその土地の文化を液状化したものである」ということ。地元の生活、食、命に寄り添う酒を地元の米と蔵の目の前を流れる一級河川名取川の伏流水で醸してきました。
南部杜氏を招いて小さな酒蔵としてやってきましたが、2011年3月11日、東日本大震災による津波で蔵は全壊、流出。しかしながら、奇跡的に難を逃れた2本のタンクから、私たちは再び酒造りを始めました。
わずかに残った2本のタンクの酒を瓶詰し、生まれたのが「閖」。2012年3月11日に販売を開始しました。
そして2012年12月から、日本醸造史上初となる仮設工場での酒造りが始まりました。地震による水質変化で、仕込み水を名取の名産であるせりの田んぼの水に変えるなど、手探りではあるものの、この町や酒蔵の物語を紡いでくれるような酒造りを目指しました。
すべてが挑戦だったため、新しい酒造りもできました。「純米大吟醸 浪庵(ろあん)」や「純米吟醸 玲瓏(れいろう)」は果敢なチャレンジ精神があったからこそ生まれた酒でした。
閖上の復興まちづくりが進む中、酒蔵の復興を考え始めたのが、2017年のこと。そこから各地の酒蔵さまで学ばせていただき、閖上につくる新しい酒蔵の設計図を引きました。
2018年12月25日に地鎮祭を行い、2019年10月1日「日本酒の日」に蔵開きをし、本格的な再建を果たすことができました。
これからも私たち佐々木酒造店は、伝統的な酒造りを守りながら新たな価値と魅力を創造し、ここ閖上の文化を全国のみなさまに感じていただける酒を醸してまいります。